「PL野球」その存在は越えられない
高校ラグビーの聖地・花園ラグビー場に隣接する花園球場で、最後の打者が放った打球がライトのグラブに収まった瞬間から記憶がない。帰りたいような帰りたくないような初めて味わう気分
2年前の2014年10月、PL学園硬式野球部の新入部員受け入れ停止が発表されて以来、この日が来ることを覚悟していたが、しばらくPLのユニフォームを観ることができず、試合後にPLの校歌を聞けないと思うと脱力感でいっぱいだ
1955年(昭和30年)PL学園高等学校創立
部員13〜14人、バット3本、ボール3個から硬式野球部が発足
近くの富田林高校に練習試合を申し込むが断られ、河南高校には0-15で大敗
夏の大会への参加を高野連に申請したが、態勢が不十分で認めてもらえず、
翌年、夏の大会初出場を果たしたのが、今からちょうど60年前
そこから始まった野球部は輝かしい栄光を刻み、妥協しない取り組みで多くの名選手を生んだ
PL野球とは、人間力の高い野球だったように思います
科学がどれだけ発達しても、人間が科学を上回る
人間は背負っているものが大きければ大きいほど、乗り越える力を身につけ、飛躍できる
どの世界でも大成するには並大抵ではない努力が必要であり、一流になる人は常に神経を研ぎ澄ませ、細かいことに気づく目配り、気配りが利き、厳しさの中に優しさがある
PL学園は負けられない。それは試合の得点だけではない。すべてにおいて相手校に勝たなければならない
強い精神力が代々受け継がれたことが土台となり、最後まであきらめず粘り、逆転するPL魂
記録にも記憶にも残る戦いを築き上げ、アルファベットを含む校名、クリーム色の生地にブロック体でPL、オリジナルフォントでGAKUENと二行に刻まれた紺字に銀色で縁取った斬新なデザインのユニフォーム、
帽子のロゴマークはオリジナリティがあり、サビの部分が耳に残る校歌、統制のとれた鮮やかな人文字とシンプルで綺麗な応援歌で多くの人々を魅了し、人の心を動かせたPL学園野球部
「甲子園で毎回優勝できなければ恥ずかしい」と述べたPL教団二代教主はKKコンビ入学直前の1983年2月2日に逝去し、それ以降は二代教主が築いた「芸術作品」を財産とし、それを受け継ぐ形が伝統となり、 年月を重ねるごとに何の驚きもなく、徐々に先細りし、10年ぐらい前から悪い面を改善するため、良い面も薄れていった
PL学園の勝つ試合が好きだった
人は自分の通ってきた道しか分からず、通ったことのない景色をなかなか理解できない生き物だ
過去のPL学園の試合を写真や動画、文章で振り返ることができても、その時代を共有した者にしか分からないものがある
これからは「PL野球」を現在進行形で語れなくなり、選手たちの勇姿が観れなくなることが寂しい
PL学園最強の世代は?
「勝つかな?」と観ていたKK時代、「勝つだろう」と観ていた春夏連覇の代
野球の試合をすれば、負けない野球が勝つのではないだろうか
今でも語り継がれる分岐点になった試合
私は観戦中、試合の序盤で勝利を確信した
一つのプレーで、相手内野手の落胆ぶりを目の当たりにしたからだ
一喜一憂することなく、どんな状況になっても最後まで冷静に集中する真摯な姿勢が勝敗を左右した
ちなみに数年後、その時の指導者と話す機会があり、その試合前、指導者同士の挨拶をした時、相手校はPLを意識している「勝った」と思われたそうです
情熱と男気に溢れる名コーチは「本気でぶつかれば、人の心に響くものがある」
人の心を揺さぶる指導力は、人の行動や姿勢を変える圧倒的な存在感と迫力で「犬に野球を教えても上手くなるんじゃないか」と思えるぐらいの本気の教育を感じた
長年、監督を務められた方はある時こう言いました
「自分が年老いて病気したとき、教え子の中から誰かが見舞いに来てくれたら私の指導は正しかったんでしょう」
このコメントを読んだ時、PLファンで本当に良かったなと思いました
身近で甲子園に出場したチームを何度も観れたし、後にプロの第一線で活躍する選手も観れたし、
プロになる選手は「自分の世界を持っている」ことも知れた
どこにも負けない素晴らしい「PL野球」をたくさん観れた良い時代に、幸せなPLファンの一人として過ごさせてもらい、とても感謝しています
人生一回しかない、また観れるなら多くの人々に愛されている「PL野球」をたくさん観戦したい
日本一の野球部だから応援サイトも日本一に!との想いで制作したサイトALL PL
いつの日かPL野球が復活することを願い、サイトは存続します
今後、PL学園が甲子園大会で残した成績やPL学園出身のプロ野球選手が築いた実績を超える学校が出現しても、PL学園の存在は越えられないと思います
義理人情が薄れつつある世の中だか、人々の思いはやがて通じる
PL野球は永遠に不滅だ
(2016.7.15)